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Uインターの思い出 [その他]

『燃えろ!新日本プロレス』今号は2度目のUインター対抗戦特集だが、
私は昭和の新日本プロレスが見たいため、購入していない。
ただUインターは何度か観戦したことがあるので、思い出について書いてみることにした。

1988年から1990年にかけて大ブームを巻き起こしたプロレス団体UWFは
1991年、リングス、Uインター、藤原組の三派に分裂した。
Uインターは高田延彦をエースに旗揚げ。
UWFに無かったタッグマッチ(ダブルバウト)やスープレックスポイントを取り入れ、
独自の路線を歩み始めた。
「プロレスこそ最強」を謳い文句に「格闘技世界一決定戦」を企画。
高田VSトレバー・バービックが成功し、軌道に乗り始める。
高速スープレックスを放つゲーリーオブライトの台頭、
プロレスにとっての外敵、元横綱北尾光司の参戦により人気沸騰。
1992年10月、高田が北尾をKOした頃が団体のピークだと言えよう。

私がUインターを見に行ったのは1993年、高3の春、
会場は大阪府立体育会館で大学生だった先輩のDさん、Tさんと一緒だった。
2人とも旧来のプロレスファンで「プロレスこそ最強」というUインターのコンセプトにハマっていた。
私は高田がトップになったのは前田日明がいなくなったことによる「繰り上げ当選」にしか過ぎないのではないかと思っていたし、UWF時代、船木に打ち負かされた印象が強かったので、それほど高田には乗れなかった。
しかし、人々は作られた英雄を好むものであるし、
高田はコンディション万全かつ動きも良く、
説得力のあるプロレスを展開していたので、魅せられる人が多いのも理解できた。
この日の山崎戦も完勝といっていい内容であり、
「山ちゃんの今後はどうなるんやろう」と私が心配していると
「山ちゃんの今後より、おまえの進路やろ」と笑われてしまったものだった。

その後、Uインターは新日からベイダーを引き抜いたり、
神宮球場を満員にしたりと快進撃を続けているようだったが、アメリカでUFCが始まり、
グレイシー柔術が世に知られることによって「最強論争」見直しの機運が高まってきた。
1994年、安生がヒクソンとの道場マッチで敗れ、Uインターが持つ最強のイメージは徐々に崩れ始めた。
それでもDさんは高田を応援していた。
就職で上京したDさんは1995年6月の両国大会を見に行ったのだが、
田村とオブライトが不穏試合、
高田が垣原に勝った後「近い将来引退します」と宣言、といった事件が起こり、
Uインターの迷走を目の当たりにして、かなり戸惑っていた。
そして10月、新日本との全面対抗戦が決定した。
軽い気持ちで早めにチケットを取ったのだが、
その後、あっという間にソールドアウトしてしまった。

初めての東京ドームプロレス観戦だったが、水道橋付近は人で溢れていた。
6万人を越えた人たちがプロレスを見に行くのだ。
熱い時代だったのだろう。

派手な演出はなく、大会は黙々と進んでいった。
場内は新日ファンが多数を占めていた。
既に格闘技寄りとなっていた私は
「未だこんなに新日ファンがいるのか」と驚いていた。
印象に残ったのは永田、石沢、長州だ。
レスリングの全日本王者もしくは五輪代表だった彼らは強さが際立って見えた。
もちろん、プロレスの範囲内で試合は進んでいったのだが、
Uインター勢は体格的にも劣っており、強そうには見えなかったのだ。
メインは武藤VS高田。
高田は既に輝きを失っており、得意のキックもかけ声だけで、
力強さを感じることができなかった。
ドラゴンスクリューを喰らい足を痛めた高田に武藤が足四の字固め。
しばらくして観客が「うぉー」と叫び立ち上がりだした。
「なんやなんや」
Dさんがキョロキョロすると試合は終わっていた。
格闘技志向のUが古典的プロレス技の足四の字で負けるという仕掛け。
終わった瞬間、やられたな、と思った。
場内の新日ファンはお祭りムードだ。
落ち込むDさんと一緒に飯田橋あたりで晩飯を食ったが、
納得のいかない彼は「Uのビデオを見よう」と言い出した。
私たちは近所のレンタルビデオ屋で新日本VSUWFのビデオを借り、
部屋で一緒に見て、あの頃は良かったなぁ、としみじみ語り合うしかなかった。
やはり前田は立派だったのか。

対抗戦以後、Uインターは安生がゴールデンカップスを結成したり、
東京プロレスに参戦したり、高田がブッチャーや天龍と試合をしたりと節操のなさを見せつけ、
崩壊してしまった。
1997年、高田がヒクソンに敗れたことにより、
Uインターが復活させようとした「プロレスこそ最強」というスローガンは地に堕ちてしまった。
その後、桜庭、田村、金原らが総合格闘技で活躍したことにより、
Uインターの名誉は挽回されたが、彼らも40代になり、ほぼセミリタイアの状態だ。
私たちが夢見たプロレスの理想郷はもうなくなってしまい、
私たち自身が夢を見る年齢ではなくなってしまったのだ。
これこそ時代と青春の終焉なのではないだろうか。
虚脱感に包まれつつも、私はあの頃を思い出さずにはいられないのだ。

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コメント 2

責任者、出てこいや~!

高田がワケ分からない世界に飛び込んでいったのは、あの武藤の膝壊しが序曲だと思ってます。レスラーを止めざるを得なくなった上に、さらにヒクソンが高田の格闘家としてのプライドを粉砕したと私は考えてますが、私の考えは間違ってますでしょうか?あれ程ポテンシャルが高く、病気の奥さんの介護を懸命にしていた男が、インリンや曙なんかとアホ丸出しのコスプレ総裁やってる姿を見ると悲しくなるのは私だけでしょうか?
by 責任者、出てこいや~! (2012-08-22 23:07) 

kenken

コメントありがとうございます。
プロレスの解釈は十人十色ですから。
悲しいコスプレ総裁の団体も無くなってしまい、
現在、高田氏は芸能界の人になってしまいました。
生きるためには、いろいろやっていかないとダメなのでしょう。

by kenken (2012-08-23 00:14) 

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